再履ウム

再履、留年、そして退学。

留年が決まった日、金沢で死のうと思った【2021年3月】

忘れもしない2021年3月1日、僕の留年が決まった。

つづき⇒

ki-k0h.hatenablog.com

あらまし

GPA1.26, 通算0.86.

僕の大学2年生後期の成績だ。

大学1年生がとるような力学、線形代数統計学といった必修科目を落としただけでなく、大学2年生で取るべき必修の専門科目も相当数落とした。

僕の学科は単位に余裕がないので、ひとつでも専門科目を落とせば留年が差し迫るような状況のなか、通年の設計学の授業まで落とした僕は、留年が決定した。

 

大学の先生に問い合わせると、やっぱり救いはないらしく、「まあ気を落とさずに…」(原文ママ)というメールが帰ってきた。

 

正直留年するとは思っていなかった。ある程度は単位が取れるだろうと思っていたし、あまりにも大学を舐め腐っていた。しかし、サークル活動に交友関係に、さらに趣味で手いっぱいだった2年生の時間に、勉強まで手を回すことが出来なかった僕に単位を与えるほど、木村の大学は甘くはなかった…というより、僕がダメ人間だった。

 

留年した理由は、通年の設計学の授業がどう頑張っても再履修できないので、3年次から4年次に進級できない、ということである。

 

あまりの事実にTwitterでネタにすらできず、その日のアルバイトはまるで仕事に手が付かなかった。勿論家族にも、交際相手にも伝えることはできなかった。

傷心、迷走、放浪

2021年3月2日。

初めに、浪人生の頃に絶対的な信頼を置いていた3人組に相談した。浪人生の仲間はやはり浪人経験ということで、即座に「退学再受験」の5文字が3連続で送られてきて、笑ってしまった。現実逃避でしかないが、少し心が軽くなった。

 

次に、交際相手に伝えた。これまでも相当に迷惑と負担をかけていたのに、これ以上交際相手に心労を掛けるのがあまりにも申し訳なく、別れを切り出されたら即座に頭を下げて去るつもりだった。留年を伝えたときの反応は思いがけないもので、一旦自分でよく考えてみて、というニュートラルでドライな感想だった。ありがたいことこの上なく、いつまでも感謝の念に堪えない。

 

翌日。

自宅にいるのがあまりにも苦痛になり、アルバイト先には連絡して休みをもらい、ふらふらとバックパックに財布とパソコン、そして「やさしい理系数学」を詰め込んで大阪の下宿先を出た。それからのことはあまり覚えておらず、気が付けば、夜の18時ごろに石川県の金沢駅に着いた。天気は情景描写のお手本のごとく曇っており、シベリア寒気団から押し出された冷たい風が現実に引き戻した。

ぼんやりと、死のう、と思っていた。

室生犀星の本が好きだったので、ゆかりの記念館によってから、犀川を歩いて、最後に名所の熊走大橋で…と多分出来もしないのに、感傷的になっていた。

金沢と言えば煌びやかな海鮮が有名だが、そんなものを口にする精神のゆとりがあるはずもなく、何度か行ったことのある「伊乃心」でラーメンを啜って、これからの後処理を考えようと思った。

 

ところが、人間あまりにもどうしようもないもので、麺を啜れば簡単に心変わりしてしまう。ラーメンを啜っているうちに生への衝動がこんこんと湧き出てきて、あまりのふがいなさに涙を落とした。もう一花、人生で咲かせようと思った。

 

導き出した結論は、医学部再受験である。

 

僕は、医学部再受験に、人生の一発逆転を賭けることにした。

 

すでにビハインドは浪人1年を含めて3年だ。しかし、地方国立であっても合格して国家試験にさえ合格すれば人生の軌道修正が十分可能だ。親には留年したことを隠して、休学しながら一年受験勉強に充てる。(国立大学は休学は無料だ)交際相手には6年間待たせるというカスの人生計画を提案することになるが、それは手に職さえつけばペイ出来るかもしれない。(当然、出来ないかもしれない)なあに、2年前に受けたセンター試験は90%を越えていたし、早慶理工も合格していたことを考えればあながち…という、また甘い算段を立てていた。

 

かかる費用、時間、学力の目安、周囲の説得の方法、そんなことを考えながら金沢の片町界隈を歩いた。新しい人生の切り開き方を考えるのは、楽しいことだ。

 

しかし、大学を休学、あるいは退学するというレールを外れる不安、そして何より、合格しなかったら…人生が本当に終了してしまう

 

カスの一手…

(つづく)