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敬老の日をきっかけに、実家に帰りました。僕が昔使っていた部屋を見ると…ほこりを被った遊戯王のデッキケースが目に入りました。きょうはそんな、カードゲームに明け暮れた中学生のころの思い出話です。
屈折
中学生のはじまりは明るく、楽しいものでした。僕は中学受験塾に3年間も通わせてもらい、偏差値50弱の中高一貫校に入りました。もちろん第一志望ではありませんでしたから、腐ってしまう…コンプレックスに苛まれて…と思いきや、そうではありませんでした。同じように「はじめての挫折」を経験した同級生たち。同じくらいの賢さの同級生たち。僕自身いや~なやつだったので仕方ないのですが、まるでなじめなかった小学生のころとは一転して、楽しい中学生活が始まりました。成績は学年でも2番か3番です。模範の生徒として学校紹介のパンフレットにも載りました。ああ、麗しき日々。
くらかけ
部活はディベートと剣道をやっていました。ディベートは全国大会に出場し、剣道は大成こそしませんでしたが、いい経験になりました。さて、そんな僕が特に耽溺したのが、
です。まあ、陰キャラのはじまりですよね。成績もよく、スポーツもちょっとやっているので十分中学校のスターダムを登れたのに…と思わなくはないですが、楽しかったのです。仕方がありません。
日輪と
学校が秋葉原まで電車で一本だったので、秋葉原に毎週行っていました。同じカーストの友達と徒党を組み、秋葉原の電気街を闊歩するのです。秋葉原の雑居ビル、末広町の方の電気屋さんの二階にあるような、そんなお店のデュエルスペースに溜まり、100円のノーブランドのジュース缶を買って早口でしゃべるのです。勿論学生生活の最底辺です。貴賤は無いと言ってもやはり卑しく、何とも悲しい過ごし方でしょう。
しかし、ガラケーのメールの下書きに、買っておくカードのリストを書いておいて、それと小遣いとを交互に見て…雑居ビルの階段を駆け上がる瞬間!何物にも代えがたい、わくわくした楽しい体験でした。あ、ちなみにクリフォートや妖仙獣を使ってました。
デュエルスペースで溜まったあとは、春日亭などのラーメン屋を漁り、お腹を満たせばまた次のお店へ…といった具合でした。暗くなってくると最後は決まって万世橋のあたりでラブライブ!の話をして、各々解散していきました。
ぬすびと
そんな僕たちは、親が買ってくれた服を適当に着て、眼鏡で早口。女の子とどうこうするということは皆無で、ツイッターはアニメアイコン。それでもよく、満たされていた生活でした。しかしそんな日々にも、終わりがやってきます。
はつれて軋る
ある日、カードショップに一緒に行っていた友達と連絡が取れなくなります。当時僕はガラケーしか持っていなかったので、まるで連絡が付きません。彼は学校を辞めてしまったのです。学校にあまり来ていないことは何となく分かっていましたが、カードショップにいる彼はいつも楽しそうでした。まったく予兆に気付かなかったのです。
砂の城にひとたび穴が空けばすぐ崩れるように、カードショップ軍団は、たちまち崩壊してしまいました。それも、じゃあきょうから行くのを辞めよう!と言うのではなく、ひとり、またひとり、と消えていったのです。
最後に彼らと遊戯王をしたのは、修学旅行のとき。しかも、先生に見つかって没収されてしまいました。陰キャラなのに叱られているというどうしようもないどん底シチュエーションでした。
薄明穹
高校に上がると、僕は彼らと関わることをいよいよやめてしまいました。人並みの過ごし方をしなければいけない!そういう焦燥感とともに、彼らとの思い出そのものを否定して、無駄だったと決めつけてしまったのです。彼らと、そして彼らとの思い出との、決別です。
僕はその決別に対して、否定的な気持ちをまったく持っていませんでした。だって、人並みに社会に適合していきていくには、そういった日々とはさよならしなければいけませんから。さよならした結果、いまでは、難ありつつも、何とか社会でうまくやっていけているように思えます。そんな自分が誇らしい。
ところで、話は最初に戻ります。10年前には苦楽を共にしたカードが、語りかけてきたのでしょうか。実家にあるデッキケースをちらっと見たとき、僕に、ある疑念が生まれました。
カードゲームに明け暮れた日々は、貴重な青春の無駄だった、と本当に言えるのでしょうか?
ほかのひととのかけがえのない思い出を、成長のために無いものとしてしまうのは、あまりにもおこがましいのではないでしょうか?
自分の過去を受け入れられないのに、成長することなど、あるのでしょうか?
(おしまい)